神から人へ。神から人へ、教えて残せよ、人のため。支えと
なるよう、導くように、全ては始まり動かんとする。全ては
変わり移らんとする。なれば、本日、そなたからの問いは、
いかに。  


(方位、方角には何か意味があるのでしょうか)
方位、方角、それぞれに、意味あり、運あり、吉兆あり。なれば
人は占いを、研究、発達、進化させ、神のご意図を占わんと、
ときにあやまち、間違い教えて、人心惑わす、悪習あるらん。
なれど正しく占わば、世間一般、常識越えし、裏の意味あり、
真あり。なれど、正しき教えを得たくば、正しき学びと修行を
要する。遊び心の、軽き思いは、真実、真理を枉げるらん。
なれば慎み、謙虚になれよ。軽き心で学びても、かえりて
あやまち、間違い増さん。なれば、かえりて汚れも増えん。
己の内に邪欲なくとも、いつか知らずに邪霊に囚われ、正気
失う者も多かり。何も始めが肝心なれば、徒心(あだごころ)は、
けがの素なり。占い、神事、全ては心を、戒め、高めて、なす
べき所業。 邪欲、利己心、執着心、全て己を貶めなんを。
心の隙には邪霊も易く、忍び、潜みて、付け入るならい。
よくよく諌めて、心を清く、濁りなきほど澄ませて後に、始めて
適わん、神の道。 さなくば人間、心も低かり。卑しき、さもしき
下心のみ。 神のおためと口で唱えて、心の奥には己のこと
のみ。利欲、我欲の塊の如。 さなる心を洗い浄めて、よくよく
正して、神に向かえよ。人間心は、危うきものなれ、一度
迷わば、戻るに難く、いつか妄執、囚われゆかん。 いかに
高僧、聖人なれど、現実世界の物質、利害、目をくらませて、
地獄に迷わん。この世の地獄、あの世の地獄、次元は違えど、
続きておるなれ、早くに脱して、律するがよし。



神の御心、占いにて、知るはわずかのことばかりなり。真の
神意は遥かに高く、卑しき思いの俗人、世人に、いかほどの
ことを知り能わんや。己の思いの高き者なら、人に頼らず、
己に問えよ。 神の心は自ずと解けなん。方位方角、そに囚わ
るるな。真のご意図は、確かにあれども、そに囚われ狭める
なかれ。 知りて行動、狭めるよりも、知らずに行い、通り過ぐ
べし。 過去に起こりし異変災害、全ては己の疑心暗鬼の賜物
なれば、 人の心で案じることに、何も価値なし。後からこじつけ、
原因求めて、人間心で説明せしも、神の経綸、深くも分からず、
くだらぬ血迷い、世迷い言。



方位方角、大事にあれど、そに囚わるるも 害となるらん。神の
目からは、全ては同じ。西も東も、南も北も。 どこが尊く、どこが
卑しく、さなる違いは元よりなきこと。神は自在に動くものなれ、
西を好むもあやまちなれば、北を忌むのも、根拠なし。
神の目からは、全てが役割。一つ一つの意味はあれども、
さにて、悪しきをなくすは能わず。北をなくせど、悪は滅びず。
西のみ残せど、浄土ならず。全ての方角、浄めてゆけよ。
浄め残すをこそ、危ぶめよ。 神のご意図を読みたくば、いずれ
の方角方位にも、神のあること、そを胸におけ。 人間心の、
利害に曇りし、下らぬ概念、思いは捨てよ。いずれの方角、
恐るるなかれ。 全ての方位に感謝捧げよ。 
 


(方位や方角を占うことで、自分のエネルギーを高めたり、
運勢をよくすることは、 神様の御心に適うことでしょうか)
そはまた意味なき問いならん。人にはそれぞれみ役あり。
人に見合いし行を積み、それぞれ禊ぎて昇華するもの。
なればそなたのなすべき行は、偏に神に捧げることなり。
人には全てみ役あり。己のみ役に気付かずに、年経て、
老いて、死に行くものなり。 己のみ役に気付きを得られず、
なすべき行を悟り得ぬ、さなる衆生の頼るもの、そが占い
なり、易学なり。人の知恵にて作られ、発達、なれば誤り、
間違いならず。神に近づき、神に問い、神のご意図を知る
ために、人は古来努力せり。
なれど最もた易きことは、自ら神の心に近づき、神との
交信なすことならん。なれどさにてもなせざらば、人は
気学、易学、占星、さまざま工夫し、試みてこし。 なれど
真の答えは難し。占う者の心の高さ、知りたき者の心の清さ。
汚れし欲望、願望なれば、答も自ずと、低き教えよ。
今必要なるは、己の鍛え。己の求める魂昇華。 それのみ
願いて精進なせば、方向、方角、案ずる能わず。自ずと
神の御心に添い、神のご意図のままに進まん。
教えを欲する心の弱さを、先ずは悟りて、戒めるべし。
占うことの真の意味は、個人の利益や繁栄になし。本来
人と神とを結ぶ、高次の目的、役割なれば、今の占い、宗教、
教え、全てに誤り、間違いあり。



(ある方から、直径二十センチほどの水晶の玉を頂くことに
なりました。
そうした玉にはどのような意味があるのでしょうか。
一説に依れば、
そうした玉は、悪いエネルギーが集まりやすい
とも聞きました。
逆に、そうした玉を置いておくと、何か特別な
力が頂けるのでしょうか。
お教え下さい)
多くの問いにあらざれば、一つの答えに集約せん。さなる玉
には意味もなし。力もなければ、益もなし。 置けども変わらず、
与えられず。ただの飾りの装飾品。 人の愚かな幻想と、
欲望のみの具象なり。なればもらいて側に置けども、恐れる
ことも 喜ぶことも、無用のことなり。 無意味なり。 頂き拝みて、
祟むれど、力も光も発することなし。なれど一つ心せよ。
そこに意味や力を求め、日々に祈りて、念じるなかれよ。
そこに神は非を認め、時に戒め、忠告せん。 あるは邪なる
霊も集まり、心の隙にもつけいらん。そこそを気を付け、気を
引き締めよ。悪しき願いを込めるなよ。邪なるを呼ぶも己自身。
身を守るのも己なり。己の思いの現れが、玉の無色の光の
中に、残さず映り凝縮せんを。透明な程に、玉は残さず、
己の汚れを吸い取らん。悪にも通じ、早くに届かん。 恐れ、
諌めよ、己の悪を。さなれば何も心配要らず。この世に最も
恐ろしきは、人の心の妄念妄想、邪欲邪心の凝り固まるもの。




神の声を伝える人
ひふみともこさん著書  「続神誥記」より抜粋
ひふみともこさんHP
http://hifumitomoko.cocolog-nifty.com/blog/
大神神社 狭井神社 三輪山の巫女 
「真理の御霊」 最後の審判について
http://blog.livedoor.jp/hikarinomirai-mirokunoyo/archives/18847014.html