神から人へ、人から神へ。今の人類、多くの者の積み越し
穢(けが)れ、罪科(つみとが)を、人は禊(みそ)ぎて、
贖(あがな)いて、神の許しを得んために、現世 命のある
意味を、
よくわきまえて、身を慎むべし。人は本来 罪深き者。
生きる全てが罪の連続、他を傷つけずに
生きる能(あた)わず。
なれば人は敬虔(けいけん)に、さらに謙虚に
慎み深く、
己の生きてあることを、さらにも感謝し愛(お)しむべし。
命のあるを、許されしこと。生きて、地上の生を楽しみ、
自然の恵みを授けられ、己の命の意味をも知らず、
生の根源、
そも知らぬまま、不平不満に明け暮れる、
愚かな罪を重ねるもの
なり。己の罪の深さも気付かず、
人の罪には厳しく対し、そを裁かんと法を定めて、罰を科す
さえ
 数多(あまた)あり。なれど人は全てが罪人。


自然の掟を破る者、心を汚し、貶(おとし)める者、天の法則、
そを乱し、さらに我欲を極める者。人はこの世の短き生を、
人を愛することのため、人を助けることのため、利他の心を
育む
ために、少しも使うが大切なるを。人の多くはそを忘れ、
己の我欲を追求し、人を押しのくことに費やす。人を裁くも
罪ならん。
人は人を裁く能わず。能うはただに許すことのみ。
罪は独りの罪ならず。全てが罪の責を負う者。
この世にあるもの全てが縁なり。宇宙の創世、その始めより、
全てはつながる縁のもの。今ある事象、現象は、分かれて
見えるも、
全ては同根。独りの邪悪も、独りの正義も、
幻なるを悟るべし。
さなる悟りに目を啓(ひら)きなば、
神の心に近づきて、
慈愛の情(なさけ)の胸に湧くべし。


罪への憤怒(ふんぬ)、報復、仇討(あだう)ち、そは迷いなり、
迷妄なり。
暗き心の闇なりて、己の傷をも深めるばかり。
神の願いを思うべし。
人の心の寛容に、罪の因果を己に
見出し、復讐心を乗り越えて、憎悪の
連鎖を断ち切ることを。
人の御魂の向上は、人を許すに如(し)くはなし。
辛きを忍び、悔しきを耐え、さにて手に入る、真の昇華。
厳しきものなり、昇華の道程(みちのり)。なれど必ず神は
歓び、
人の昇華を見守りゆかれん。人の命は独りにあらず。
神の見守り、
導くを、知らずに生きる命の旅なり。
終わりも見えぬ、果て無き道を、
飽きることなく、あきらめる
なく、息長く生き、歩むのみ。
人との出会いの全てが学び。
己の欠けるを気付かす機会。出会いし人を敬(うやま)い、
畏(かし)こみ、
神のご意図を見出すべし。そもまた人の
修行とならん。
さにて本日、人を許すことの尊さ、命の意味を
伝えたり。これから後も、
学びて生きよ。学びは一生、終わる
ことなし。さにて。

 

 
 

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